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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)4838号 判決

原告 大友正

同 大友静枝

右両名訴訟代理人弁護士 百瀬和男

同 中島喜久江

同 戸張順平

同 松重君子

同 二瓶和敏

同 古川祐士

同 金住典子

同 小野寺利孝

被告 東京都江戸川区

右代表者区長 中里喜一

右指定代理人 山下一雄

〈ほか三名〉

主文

一  被告は、原告らに対し、それぞれ金五一九万円およびこれに対する昭和四四年一二月三〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、それぞれ金七四〇万円およびこれに対する昭和四四年一二月三〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告ら夫婦の長男大友一興(昭和四二年五月三日生)は、昭和四四年一二月三〇日午後一時四〇分から同二時頃までの間に原告らの住居である大場荘脇の東京都江戸川区松江七丁目二一番二六号先の公共溝渠(以下本件溝渠という。)に転落して死亡した。

2  本件溝渠は、被告が管理責任を負う公の営造物であり、右死亡事故(以下本件事故という。)の発生は、以下に述べるようなその管理の瑕疵に基くものである。

(1) 本件溝渠はもとは自然の浅い小川として農業用水路に使用されていたが、昭和三六年暮頃、近辺の宅地化に伴い、汚水排水用の下水道として利用するため、現況のように巾約三・四メートル、深さ約二・一二メートル、水深約一・二六メートルに掘り下げられ、その両側壁面をコンクリート壁とするコンクリート棚渠に改造されたもので、本件事故当時は、その両側のコンクリート壁間には、約一五センチメートル角のコンクリート製支梁が、約一メートル間隔に本件溝渠を横断する形で設置されている他は、蓋、金網、柵等の設備はなかった。(なお、被告は、本件事故後、昭和四五年になって、コンクリート板により蓋掛工事を行い、本件溝渠は現在においては暗渠化されている。)

(2) したがって、本件溝渠は、右のような構造上、幼児らが転落した場合、自力ではい上る手がかりが全くなく、かつ昭和四二年頃からは、水門閉鎖のため、付近住宅からの汚水が停滞し、ヘドロの淀んだドブ川化しており、これを周囲から発見して救助することも容易でなく、その生命、身体に対する危険は極めて高いものであった。

(3) しかも、本件溝渠付近は、大場荘などの民間アパートを主とする新興住宅地であり、本件溝渠の東脇は、右大場荘前の空地であって、本件事故当時子供の遊び場となっており、その空地が本件溝渠に接する付近は、上下巾約二メートル、約三〇度の傾斜をもつ斜面となっており、とくに、冬季には右斜面の草が枯れて、すべりやすい状況となり、右危険性は、その立地条件によっても高められていた。

(4) 本件溝渠は、以上述べたごとく危険な状況にあったが本件溝渠及び本件溝渠に通じその北側に位置する道路ぞい溝渠において、実際にも、昭和四二年ころから本件事故に至るまでも約一〇回の子供達の転落事故が発生していた。このため、付近住民らが被告に対し安全策の実施を求めていたが、被告は、昭和四三年七月頃、右道路ぞい溝渠についてガードレールの設置工事を行ったのみで、本件溝渠については、何らの安全策を講ずることなく放置していた。

3(1)  一興は、死亡当時、二才七ヶ月の健康な男子であり、昭和四四年簡易生命表によれば、その余命は六八・四三年であるから、本件事故に遭わなければ、その間満一八才から六三才に達するまでの四五年間は稼働可能であり、右期間を通じ、少くとも昭和四七年賃金センサスによる全産業男子労働者平均の現金給与額年額一三四万六、六〇〇円(年間賞与などの特別給与額を含む。)に相当する収入を得ることができるものというべきであり、右収入を得るために控除すべき生活費を右全期間を通じて五割とすると、年間純益は六七万三、三〇〇円となり、中間利息の控除につきホフマン式年別複式計算法を使用して死亡時における逸失利益を算定すると、一、〇八〇万円(一〇万円未満切捨)となる。原告らは、一興の死亡により、その父母として、右損害賠償請求権を二分の一ずつ相続した。

(2)  また、原告らは、一興の死亡により、父母として精神的苦痛を味わったが、これを金銭に見積ると各一五〇万円が相当である。

(3)  さらに、原告らは、本訴の提起を原告ら訴訟代理人らに委任し、その着手金として、原告両名各自金五万円を支払い、かつ成功報酬として、各自金四五万円ずつの支払を約し、同額の債務を負担した。

4  よって、原告らは、被告に対し、国家賠償法第二条に基づき、それぞれ右損害賠償合計金七四〇万円およびこれに対する本件事故発生当日の昭和四四年一二月三〇日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1項の事実のうち、一興が転落・死亡した時刻の点は知らないが、その余の事実は認める。

2(1)  同2項冒頭の事実中、本件溝渠が被告の管理責任に属する公の営造物であることは認めるが、本件事故がその管理の瑕疵に基くものであるとの主張は争う。

(2)  同項(1)の事実は、本件溝渠の深さが約二・一二メートルである点を除いて認める。本件溝渠の深さは一、八メートルである。なお、原告ら主張のコンクリート柵渠への改造工事は、本件溝渠の排水能力の増強、流水疎通の円滑化により環境衛生の改善をはかる目的で行なったものであり、本件事故当時、その水路としての機能を阻害するものはなかったから、溝渠自体にはもちろん、その管理についても瑕疵はない。

(3)  同項(2)のうち本件溝渠が幼児の生命・身体に対する高度の危険性を有するものである旨の主張は否認する。

(4)  同項(3)の事実のうち、本件溝渠付近が新興住宅地で、その東脇に空地があり、その空地と本件溝渠が接する部分が上下巾約二メートルの斜面をなしていたこと(但し、その傾斜角は原告主張の約三〇度でなく、一五度程度の緩やかな傾斜をなすものであった。)、冬季には右斜面に生えている草が枯れることは認めるが、その余の事実は知らない。

(5)  同項(4)の事実のうち、被告が昭和四三年七月頃に道路ぞい溝渠にそってガードレールの設置工事を行ったこと、及び本件溝渠については安全策を講じなかったことは認める。原告主張の如き転落事故があったことは知らない。付近住民らが安全策の実施を求めていたことは否認する。

(6)  なお、被告の管轄する江戸川区の区域は、低湿地・軟弱地盤という地理的条件にあり、かつ従前からの多数の農業用水路が宅地化に伴い排水処理用の水路に変化しているため、被告の管理する公共溝渠の総延長は、二三区中最長のものであり、被告は、これら公共溝渠について、河川整備事業計画に基づき、環境衛生の改善及び交通安全対策の見地から、蓋掛・危険防止柵設置等の工事を行っているものである。被告の行う安全措置は、限られた一定の予算の範囲内において行う性質上、必要性のより高い部分から順次実施せざるをえない現実の要請があり、多数の公共溝渠のうちどの溝渠の工事を優先させるかは、環境衛生、付近の交通量、家屋密集状況等の諸事情を考慮して決定しているところ、本件溝渠は、当時右いずれの要件にも合致していなかったのであるから、かかる事情の下で、被告が本件溝渠の蓋掛をしなかったことを管理の瑕疵とすることは、被告に不可能を強いるものである。

3(1)  請求原因3項(1)の事実のうち、一興が死亡当時二才七月の男子であったことは認めるが、その損害額は争う。

(2)  同項(2)の事実は否認する。

(3)  同項(3)のうち原告らが本訴の提起を原告ら訴訟代理人らに委任した事実は認めるが、その余の事実は知らない。

三  抗弁

かりに、本件溝渠の管理について瑕疵があったとしても、本件事故については、原告らに以下に述べる過失があるので、損害賠償額の算定に当り斟酌さるべきである。

原告らは、本件事故当時昭和四三年二月からすでに二年近く大場荘に居住しており、本件溝渠の危険性については十分認識していたものである。本来社会生活における幼児の保護ないし安全確保については、公共団体と幼児の保護者とが協力して責任を分担してこそよく目的を達しうるものであり、また本件溝渠の安全確保についても、被告が住民に対しある程度の自衛手段を講ずることを期待して管理せざるをえないことは、現在の社会情勢の下においては已むをえないものというべきである。本件事故当時、一興は、二才七月の幼児であったから、親である原告らとしては、一興の行動について、十分な監督を行い、一興を戸外に出すについては、同人に同行するか、ないし適当な監護者をつけ、もしくは常に同人の動静を把握しておく等の措置をとることが要請される。しかるに、本件事故当時、原告らは、一興を少くとも五分ないし一〇分間戸外に放置したのであるから、この点において原告らには監護義務の懈怠があったものである。

四  抗弁に対する認否

被告の過失相殺の主張は争う。原告らが二年近く大場荘に居住していたこと及び一興が本件事故の当時、二才七月の幼児であったことは認めるが、一興に対する原告らの監護義務が被告主張の如き内容のものであることは否認する。なお、本件事故当時、原告らが一興を少くとも五分ないし一〇分間戸外に放置していたとの事実は、否認する。目を放していた時間は僅か二、三分である。

第三証拠≪省略≫

理由

一  本件事故の発生について

請求原因1項の事実(本件事故の発生)は、事故発生時刻を除き当事者間に争いがない。

しかして、≪証拠省略≫を総合すると、原告らが一興の所在を見失ったのは、同日午後一時四〇分ないし二時の間であり、その後手分けして大場荘近辺を方々捜しまわった挙句、一興が本件溝渠に浮んでいるのを発見したのは、同日午後三時ころであることを認めることができるから、一興が本件溝渠へ転落した時刻は、同日午後一時四〇分頃から二時頃までの間であると推定することができ、右認定に反する証拠はない。

二  本件事故に対する被告の責任について

次に、本件溝渠は被告が管理責任を負う公の営造物であることは当事者間に争いがないので、本件事故の発生が本件溝渠の管理の瑕疵によるものか否かについて判断する。

(一)  本件溝渠がもとは自然の浅い小川で、農業用水路に使用されていたが、昭和三六年暮頃、付近の宅地化に伴い汚水排水用の下水道として利用するため巾約三・四メートルに拡幅され、その両側壁面をコンクリート壁とするコンクリート棚渠に改造されたこと、本件事故当時、右両側のコンクリート壁間の上には約一五センチメートル角のコンクリート製支梁が約一メートル間隔で設置されていただけで、他に蓋、金網、柵等の設備はなかったこと、本件事故発生の後である昭和四五年になって、被告が本件溝渠にコンクリート板による蓋掛工事を行い、現在本件溝渠は暗渠化されていること、本件溝渠付近は新興住宅地であるが、その東脇は空地であり、その空地が本件溝渠に接する付近は、上下巾が約二メートルの斜面になっていたこと、本件溝渠の北側に通ずる道路ぞい溝渠においては、昭和四三年七月頃に被告がガードレールの設置工事を行ったが、本件溝渠については、右蓋掛工事がなされるまでは何らの安全策も採られなかったことは当事者間に争いがない。

(二)  ≪証拠省略≫を総合すると、本件溝渠は、その南端が一之江境川に接し、同地点から北西方向に直線的に延びて南北に走る道路に突き当って北に折れるまでの約九〇メートルの延長を有するもので、溝渠自体の深さは、約二メートルないし二・一メートル、水深部分は、平常時は約一・二ないし一・三メートルであるが、(一)に述べた構造と相まち、幼児らが本件溝渠に一たん転落した場合には、自力ではい上ることのできる手がかりはなく、また、昭和四二年頃から汚水が停滞して、底には泥が堆積し、塵芥を浮かべた水は著しく汚濁し、水中に転落した物体を発見することは容易でない状態にあったこと、本件事故当時、本件溝渠の東脇には広さ約三〇〇平方メートルの空地を前にして大場荘・大清荘が建ち、その北側にもかなりの人家があったほか、本件溝渠の西側には相当に人家が立込んでおり、右空地は、右各アパート居住の子供らのほか付近の子供らの遊び場となっていたこと、そして、当時は、右空地が本件溝渠と接する付近は上下巾約二メートルの崖状を呈し、その昇降には大人でも四つん這いにならなければならないほどの急傾斜をなしていたこと(≪証拠判断省略≫)、しかも、冬季には右斜面に生えている草が枯れ伏すため、右の急角度とも相まって、右斜面は極めてすべりやすい状態にあったこと、なお、大場荘、大清荘の住民は、前記一之江境川ぞいの道路が当時車両の擦違いができないほど狭くて危険であるうえに、日常の買物などには遠回りとなって不便であるため、本件溝渠の大場荘の西脇のあたりに巾約一メートルの木橋をかけて通行の用に供していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(三)  さらに、≪証拠省略≫を総合すると、本件事故の発生する以前の数年間に、傷害、死亡には至らなかったが数回にわたり、本件溝渠への子供の転落事故があったこと、昭和四三年夏に菅野真由美が転落した事件を契機に目撃者の橋本たか子が、本件溝渠について安全対策を求めて、被告江戸川区の区役所に二回ほど電話したが、担当違いを理由に取り上げられなかったこと、また、それ以外にも、原告大友正ら周辺住民が本件溝渠について安全対策を求めて、公明党などを通じて働きかけたこともあるが、具体的な成果を挙げられなかったことを認めることができる。

(四)  以上(一)ないし(三)の事実によるとき、本件溝渠は、本件事故当時、その構造、立地条件からして、子供の転落のおそれが大きく、かつ転落した場合には、その生命身体に対する危険性が極めて高かったことが認められ、また、実際にも、本件事故以前に転落事故が数回発生しているのであるから、被告としては、本件溝渠について転落事故防止のため、適切な安全対策を講ずべき管理責任があったということができる。しかるに、本件事故当時、被告は、前述のとおり、道路ぞい溝渠についてはガードレールを設置したものの、本件溝渠については何らの危険防止の設備をしていなかったのであるから、被告の本件溝渠の管理には瑕疵があったものと認めるべきである。

(五)  しかして、≪証拠省略≫によると、一興の発見場所は、前記一之江境川に通ずる本件溝渠の南端から約三三メートルの地点付近であることが認められるから、同人の転落箇所もその付近と推定されるところ、一興が右地点から本件溝渠に転落するに至った経緯は、本件全証拠によるも不明というほかないが、本件溝渠について蓋掛等の安全工事がなされていたならば、本件事故は起りえなかったことは言をまたないところであるから、右管理の瑕疵が本件事故の因をなすものであることは明らかである。

被告は、予算上の制約から本件溝渠に蓋掛等をなすことは不可能を強いるものである旨主張するが、本件溝渠の管理に瑕疵が存すること前記認定のとおりである以上、被告が予算の範囲内でなすべきことをしていたとのことのみをもって、被告の免責を認める根拠とはなしえないと解するので、右主張は採用できない。

したがって、被告は、国家賠償法二条により、本件事故による損害を賠償すべき責を免れないものというべきである。

三  原告らの損害について

(一)  ≪証拠省略≫によれば、一興は死亡当時、二才七ヶ月の健康な男子であったことを認めることができる(年令の点は争いがない)ところ、幼児の死亡の場合の逸失利益の算定は、その性質上控え目になすべきものであるから、稼働期間を二〇才から六〇才までとし、収入を右期間を通じて昭和四七年度賃金センサスの二〇才から二四才の間の男子労働者の全企業の平均賃金として計算することにする(これに異る原告らの算定方法は採用しない)。右平均賃金は、毎月きまって支給する現金給与額と年間賞与その他の特別給与額を合計すると、年間九二万三、九〇〇円となり、右収入を得るために控除すべき生活費を右期間を通じて五割とすると、年間純益は四六万一、九五〇円となり、中間利息の控除につき、ホフマン式年別複式計算法を使用して、死亡時における逸失利益を算定すると六五八万円(一万円未満切捨)となることは計算上明らかである。そうすると原告らが一興の両親であることは当事者間に争いがないから、同人の死亡により、原告らは、右六五八万円の逸失利益の賠償請求権の各二分の一をそれぞれ相続したことになる。

(二)  次に、長男一興を本件事故で失った原告らの精神的苦痛に対する慰藉料としては、本件に顕われた諸般の事情を考慮し、原告両名につきそれぞれ金一五〇万円とするのが相当である。

(三)  また、被告が本件事故による損害金を任意に支払わないため原告らが本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人らに委任したことは当事者間に争いがなく、その着手金及び成功報酬額については、原告両名につき、それぞれ金五万円、及び四五万円との約定がなされたことは、≪証拠省略≫により認めることができるが、本件事案の難易、請求認容額その他一切の事情を勘案すると、原告らが原告ら訴訟代理人らに支払うべき弁護士費用中本件事故による損害として被告に賠償を求め得る金額は、それぞれ四〇万円とすることが相当である。

四  過失相殺について

本件事故当時一興が二才七月の幼児であり、原告らがすでに二年近く大場荘に居住していたことは当事者間に争いがない。≪証拠省略≫を総合すると、原告らは、大場荘入居以来本件溝渠の危険性を十分認識し、一興に対しても日頃から本件溝渠に接近しないよう、時には厳しく叱責するなどして言い聞かせ、一興を前記空地で遊ばせるについても、原告らが交互付添うか、ないしは、付近の主婦、小学生などにその監護を依頼し、一興の動静には常時注意を払って、一興が一人遊びをしないようにしていたこと、そして、原告大友正は、本件溝渠の安全対策について、予てから、大場荘の管理人、公明党関係者らにその善処方を依頼していたこと、本件事故当日、原告らと一興は、午後一時三〇分頃に昼食をすませ、その後、原告静枝と一興が薬屋に買物にいき、一〇分ほどして帰宅したが、原告静枝は洗濯物の取り入れに居室内に入り、一興は一たんは居室内に入ったが、すぐ外に出て一人で原告ら居室入口のすぐ前に駐車中の自動車の横で遊びだしたため、いきおい、右入口付近にいた原告正が原告静枝に代って、一興の面倒をみる形となったが、原告正は、予ての手筈に従い、右入口の付近で、五分ほどドリルを用いてミシンに穿孔する作業をした後、一たん一興の所在を確認し、外出の仕度をするため居室内に入って、長くとも一〇分を経ないうちに、再び玄関から外に出たところ、そのときにはすでに一興の姿が見えなかったこと、そのため原告正は、原告静枝とともに、直ちに、一興の捜索を開始し、本件溝渠をはじめ大場荘の周囲を探したこと、その後、原告正は、閉店時間の迫った銀行に赴くため外出し、原告静枝一人で探しつづけるうち、同日午後三時ころになって、近隣の長沢茂が一興を本件溝渠内に発見したことをそれぞれ認めることができ他に右認定に反する証拠はない。なお、≪証拠省略≫によると、原告らの居室の出入口と、本件溝渠との間の距離は、最短距離をとっても一〇メートル以上はあったことが認められる。

右認定の事情の下では、本件事故の発生について原告らにも一興の監護義務の懈怠があったということはできないものというべきである。けだし、二才七ヶ月の幼児について、日常生活の場で、常時、その一挙手一投足の監視をその両親、それも、夫婦共働きで、家内工業的なメリヤスの縫製加工業を営む、原告らに要求することは不能を強いるものであり、また、本件事故直前に、原告らが、一興から一時的に目を離した(その時間は、前記認定のとおり一〇分を超えないものと認められる。)としても、右事情の下においては、その点をとらえて原告らが、一興を放置していたものとすることも、できないというべきであるから、被告の過失相殺の主張も亦理由がない。

五  結論

以上の通りであるから、原告らの本訴請求は、被告に対し、各金五一九万円及びこれに対する本件事故当日から民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余の請求は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中永司 裁判官 落合威 菅原雄二)

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